小学校時代

小学生になった。勉強は嫌いじゃなかったけど宿題は嫌いだった。勉強を出来る自覚があったので必要の無いものだと思った。

1年の頃から「宿題をやらない癖」がついてしまった。

悪い点数を取るわけでもないのに、宿題を出さないだけで放課後に居残り勉強をさせられたり怒られることが納得いかなかったな。

 

2年生のとき、親が離婚した。

母親は病気を患っていてよく入院してた。

母親がいなくなる2日前、病室で両親が初めて目の前で喧嘩して、姉貴と2人で泣きながら「やめて!」って言ってた。母親は次の日に退院した。

 

朝、目を覚ますと母親がいなかった。

寝室を出て、階段を降りたら玄関に母親がいた。

「ちょっと埼玉のお家(母親の実家)に行ってくるね」と言って俺の頭を撫で、家を出ていった。

翌日、姉貴に母親がもう帰ってこないことを聞いて1日中泣いた。母親の病気はこの当たりの病院じゃ治すことが出来ないから埼玉に行ったと聞いた。

 

3年生。先生が嫌いだった。宿題をしない俺がテストで100点をとる度に怒鳴り散らした。挙句の果てに、「母親がいないからって甘えるな」と言ってきた。関係ないよな。嫌いだった。

 

4年生。特に何も無かった。強いていえば車に轢かれたくらい。

 

5年生。宿題を出さないことは相変わらず怒られたけど勉強ができるから先生は褒めてくれたし、他の子よりも先の範囲を授業中に勉強させてくれた。副担任もいい人だった。よく笑った。

 

6年生。すぐに手や足が出る担任で、図工の授業の日に絵の具を忘れたら廊下に連れ出されて膝蹴りされた。他にも忘れた子が一人いたけど女子だったからお咎め無し(笑)だった。冬休みにディズニーランドに行ったらまさかの担任と遭遇して宿題やったか問い詰められたっけな。

 

6年間、長期休業の宿題を出したことは一度もない。それでもなんだかんだ、なんとかなった。そんなもんだと悟った。

生い立ち

農家の家に長男として生まれた自分は、小さい頃から「家の跡継ぎ」だと周りから言われながら育った。

姉貴が一人いるが、男兄弟では俺が一番上なので実質長男だ。

体もあまり強くなく、泣き虫だった。

兄弟喧嘩でも3つ下の弟に泣かされることも多かった。姉貴にもよく泣かされた。

高いところに登るのが好きだった。ヒーローが好きだった。でもアンパンマンよりバイキンマンが好きだった。

夢が沢山あった。

 

不思議と小さい頃のこともかなり覚えてる

 

幼稚園にあがる前からひらがなの読み書きを勉強してた。全く苦じゃなかったし、楽しかったと思う。ゲームボーイポケモンをやってた。ゲームのおかげで字を覚えたのもあるんだろう。楽しかった。

 

幼稚園にあがった。

周りの子達は字を読めないので、自分の持ち物を他の子の物と間違えてよく喧嘩してたな。

それを俺が字を読んで誰の持ち物か教えてあげてた記憶がある。どの子だったかも覚えてる。

 

姉貴が通信教材、いわゆるチャレンジ〇年生をやっていて、一緒にそれを見ていたおかげで幼稚園児ながら足し算引き算ができ、掛け算も多少覚えて九九を六の段まで言えた。今考えればもしかしたら俺って天才だったのかなと思う。

 

心の内

ブログを開設しました。

自分について書いていきます。

 

20歳。男。友達は多くない。本当に友達と呼べるかわからない程度の知り合いはまあまあいる。彼女はいる。顔は中の下だけど、一部の人たちには好かれるような顔だと思う。おしゃれとかには人並より自信がある。

自惚れと卑下がいい感じに混ざりあってるような気もしてる。

 

需要とかは気にしてないけど腹を割って話せる相手がいないので、自分自身を開放する場所が欲しくこんなブログを立ち上げました。